「くっそっ……!」
なんでこう急いでる時って、走っても走っても遅く感じやがるんだっ。
「はぁっ……はぁっ……」
息もすぐ切れやがるしっ。何も考えずぶらついてる時は気がつけば何十キロも移動してたりすんのになっ。
「はぁはぁっ……。おっと、ごめんよっ!」
階段の踊り場で円になって談笑していた女子生徒達の間を素早く通り抜け、再び二段飛ばしで上がっていく。
「えっ、えっ?ちょっとなに?」
「見るからに怪しくない?あれって……」
背後で女子生徒たちの声が聞こえる。
変質者だとか言うんじゃないだろうな……。いや、まあ言われてもしょうがないくらい怪しい者だけど、今はやめてくれよほんとに。
「間違いないよ。あれはカルメロアントニオレイ・ブエナベントゥラミルマラカスミステリオ・ドンタコスモスマサル・トモヒコ先生」
俺有名かっ!!
「なんかありがとうっ!!」
今時のギャル達に覚えてもらえてるとはなんと嬉しいことだろう。正直疲れたし、走るのやめようかと思ってたけど俄然やる気が出てきたっ。
「よっしゃーっ。百ちゃん待ってろよこの野郎っ!」
満々だぜやる気がようっ。
―――数分前、中庭。
「術って……何を掛けたんだよ」
不適な笑みを浮かべている混ちゃんに問う。
「ふむ、あちの傑作ぞ。……その名も”体取る”。昨日、細長い黒い箱を見ていて思いついたのじゃ」
「体取る……なんだそれ? つうか、誰に掛けたってんだ?」
「声でわからぬかえ? ずっと一緒に居るというのに」
そう言うと混ちゃんは、最後なんだろう、モリモリゲンキチャンを先ほどより大きく口に傾ける。
「あぁ……マジかよ……」
なんてことだ……俺が一緒に居るやつなんて一人しか居ない……。そうか、確かに思い返せば聞いたことある声だ、チクショウ……。
「百ちゃんか……」
屋上へ視線を向けそう呟くと、混ちゃんは「うむ」と大きく頷き、空になった缶をぺこぺこ音をさせながらご機嫌だとばかりに足をバタつかせる。
「まあ、当然といえば当然……か」
結局の所、混ちゃんがこうして学園に現れたのは百ちゃんを狙ってのことだろうから、そこまで驚きはしない。というか、今までが大人しすぎたと言ってもいい筈。学園に入り込んでいる割にはちょっとした嫌がらせレベル様な感じで地味過ぎたんだ。
「はぁ……」
というか、今も充分地味といえば地味だよな。本人は辛いかもしんねぇけど、かなりの局地で全体を巻き込む感じではないし。
「んで、その、たい、どる?……それってなんだ?」
物知りな爺四天王達ですら、そんな単語を口にしたことはねぇし、細長い箱ってやつを見て思いついたとか言うくらいだから、混ちゃんオリジナルの術なんだということだけはわかるが……ほんとそれだけだ。想像すらできん。
「流石のお主も分からぬかぁ~? 分からぬよのぉ~。当然だ~のぉ。あちの自信作にして新作の術じゃからな」
「…………」
……自信満々なの腹立つな。
「なにか、その……ないのかのぅ?」
「あ? なにかって、なにが?」
「じゃから、その、悔しがるとかそういう……」
「ないな」そう答えてやると、混ちゃんは鼻先にデコピンをくらわしてきた。
「いった……ちょっ、お前微妙な攻撃してくんじゃあないよ!」
「うるさいわ戯けめ! お主が悔しがらないからいけないのじゃ!」
「いや、ちょっとまて! そんな想像もできんよくわからん術に何を悔しがれってんだよ!」
「よくわからんとはなんじゃ! “体”力をあい“どる”の様に躍らせ奪う術じゃぞ! すごいであろう!」
“体”力をあい“どる”の様に躍らせ奪う……そうか、だから体力を取る、体取るか。
「ふむ……」
それに、アイドルとも掛かってるんだな。……それでか、さっきから聞こえる下手糞な歌はアイドルの歌を真似て歌ってたんだ……て、ことはつまり今、百ちゃんは屋上で一人歌って踊っているってことだよな……体力が尽きるまで。
「いやぁ、そういうことなんだなぁ……。なんか謎が解けたわぁ……」
真実はいつも一つ―――
「ってなんだって!? まじかそれ、おいっ!」
体力が尽きるってやばいやつだろっ!
「まじだぜ」
混ちゃんはそうあっさりと言い、腰を上げると
「あと、もって数刻と言ったところじゃなぁ……」
振り返らずに歩いていく。
「数刻っ!?……って、おい、ちょっと待てよ! どこへ行く!」
背に向かって叫ぶが、混ちゃんは歩みを止めることなく進んでいく。
「おいっ!ちょっとまて―――」
後を追おうとベンチから腰を上げた時だった
「お主を止めることはせぬ。行きたきゃ行け」
混ちゃんはそう言うと共に4、5メートルくらいの位置で歩を止め振り返る。
「行きたきゃいけっ―――って、うぉっ」
言葉の意を問おうとしたその瞬間、強めの風が中庭全体を吹き抜け、背後から桜の花びらが吹き散っていく。
「なん、なんだ……?」
タイミングを見計らったかのような風に驚き、振り返ろうとすると
「今回は挨拶みたいなものじゃ」
声を張っているわけでもないのにしっかりと、強風の中、届く混ちゃんの声ではっとして再び視線を戻す。
「だが、次回からはそうはいかん」
そうはっきりと口にする混ちゃんの左目は赤く染まっていた。
「いやぁ、凄いね……急なオッドアイなんて技まで持ってんのか」
なんて軽い調子で問うてはいるが、その眼差しには敵意も混ざっており、全体の雰囲気そのものも変わっているように見え、内心やばいと感じている。
「…………」
混ちゃんはそれを察しているのか、俺の言葉には答えず徐に右手を挙げ、舞い散る花びらを一枚親指と人差し指で摘み取り、顔の前まで持ってくるとじっと観察する。
「す、すごいな……。ジャッキーにでも鍛えてもらったのかよ」
最早、早々に俺の小さな強がりは意味を成していない。混ちゃんには静止でもしているように見えてるのか、ピンポイントで摘み取るなんてなかなか出来るもんじゃねえし、もうなにがなんだか、普通に物凄い怖い、なんか怖い。
「己が口にしたことを果たしてみせろ」
混ちゃんが花びらを風に戻すと共に風がいっそう強まり舞う花びらの量も増え始めた。
「ちょっ、うおぉっ。なんなんだこれっ。吹雪きかっ」
瞬く間に視界が遮られ、思わず腕で目を庇っていると
「出来ぬのなら、お主も“茂呂平”と同じ、じゃ……」
茂呂平……その名にだけ特別な感情を込めているような声が聞こえた。
「…………」
その感情とは、間違っても親しみや懐かしみなんかじゃなく、何の混じりもない純粋な一つの感情
……憎しみだ。
「混ちゃんは未だに―――」
“根に持っているのか?”
わかりきったことだが、本人の口から聞きたかった。
だが……。
「百太郎に言っておけ」
その言葉を最後に混ちゃんの姿は消え、風も嘘のようにピタリと止んだ。
「…………」
混ちゃんが立っていた場所へ目をやる。
「…………」
先ほどの強風で散らされた桜の花びらが少しの山を成し積もっていた。小さな足跡を浮かび上がらせるように。
「はぁ…………」
不満から憎悪へ―――恨みから怨みへ
時を重ね、よからぬ変化が起こってしまってる。
「これで、よかったってのか……」
どうなんだよ……
茂呂平……。