第二グラウンドドッジボールコート右側―――。
「………………」
砂埃が微かに舞い上がり、地面には踏みしめた際に出来たであろう深い両の足跡。
「アリス……お前……」
「ん? ……なんだ?」
「大丈夫……なのか……?」
人が受け止めれる限界を超えてそうな威力のボールを容易く受け止めては、更にそれ以上の威力で投げ返す……。
正直、アリスに問うたのは心配というには遠い。頭の正常さの疑い。その力量でこの世で暮らす生きづらさ等など……そういう意味で問うていた。
「うむ。大丈夫だ。貴様に心配されるようなことはなにもない」
「そうか……」
意図が伝わったらぶん殴られること必須な訳で、まあそれは良いんだが……。
「っ…………」
なんの気無しに視線を下げると、アリスの脚が微かに震えているように見えた。
「本当に……大丈夫なのか?」
「大丈夫だと言っているだろう。何度も同じことを聞くなっ……」
いつもと同じような気はする。けどなんか引っ掛かる。若干だが返しが弱いような……。
「ほんとに、ほんとぉかぁ〜?」
「貴様っ!」
胸ぐらを掴んでくる。
「っ……!」
そう思ったが、アリスは勢いを見せたもののその場を数歩動いただけで、掴んではこなかった。
「やっぱり……。流石のお前でも、かなりきてるんだろ?」
まあ、当然だけどな。そもそもあんなバカ威力の玉、一回でも受け止めたら凄いもんだ。
それを複数回も受け止めては投げ返すって……。
『大丈夫かい!?』
しかも、相手が仲間に支えられる程に打ち負かしていやがるし……。
「ふんっ。なんのことだ。私は元気だ」
「嘘付け。脚震えてるの知ってるぞ」
「なっ……。い、いや、そんなことはない。震えなど……するものか」
「いや、強がらなくていいって。俺も、勿論、由加もだろうが、お前を凄いとしか思わん。尊敬しか無いって」
まあ……ただ、こんなにも強靭なやつに日頃から殴られていたと思うと、恐怖しかなくなるのも事実だけどな……。
「うるさいっ。私は強がってなどおらんっ。まだまだいける」
「そうか。……まあ、でもあれだ。俺は勝手にお前を尊敬している。だから……」
言いながらアリスへと近付き手を差し出す。
「な、なんだっ。何をしている貴様っ」
「何をって、そんな警戒するなよ。握手だよ握手」
「握手だとっ? 何故だっ!」
「いや、だからさっき言っただろ。尊敬してるからせめて握手でもしたいなってそれだけだ」
アリスは依然として怪しげに睨んではいたが、一息吐くと、素直に手を合わせてくる。
人って手を差し出されたら余程の思惑が無い限り応えてしまうもんなんだな。
「……ほれ」
少しばかり力を込めてアリスの手を握ってみる。
「っ………!!」
すると……。
「ぃ゛っったぁ……!」
アリスは初めて痛がった。
「……ここか?」
少しばかり力を込めたとはいえ、どこを痛がってるのか分からないので、少し探ってみる。
「ぃったぁぁぁ……ぃぃっ……!」
痛がるのも始めて見たのに、痛みをどうにか逃がそうと身をよじるアリスなんていう、更なる初めてのアリスを見ることになろうとは……。
「…………へっ」
面白い。
「って……あれっ?」
違和感を感じ、握るのを止めて、放すと力なく垂れ下がりそうなアリスの手の平を上に向けて観察するとすぐに異変に気付く。
「お前……これ……」
明らかに中指の付け根は変色し力なくぷらんぷらんしている。
「な……なんでもないっ。さわるな―――」
否定し、手を乱暴に引っ込めようとしたアリスだったが。
「おまっ、ちょっ、危ない!」
踏ん張る力も無くなってるのか、アリスは身を引いた状態のまま後ろへと倒れそうになり、俺は咄嗟に腕を掴み引き寄せてしまっていた。
「なっ……ぁ……」
「あぁ……いやぁ……」
これ……抱きしめてるよな……。
カップルって奴等がよくやってるやつや……。
「な……な……」
顔を見なくても分かる。アリスの顔は茹でダコ状態だ。だって……。
「あー……ははは……」
俺もだもん。
「いやぁー! ごめーーーーん!」
そして、堪えられなかったのは俺だった。
気がつけば叫びながらアリスを押し出し、ぶっ飛ばしていた。
「はっ!?」
やっちまった。そう気付いた瞬間には、アリスの身体はスローモーションで仰け反っていく。
「なぁ、ん、でぇ、だぁ、あぁ、ぁ、ぁ、ぁ……」
野太くスローな声で倒れゆくアリス。
「ごぉ、めぇ、えぇ、ん、ん、ん。もぉ、いっ、かぁ、いぃ……」
すぐさま抱きかかえようと動いた俺もスローだ。
「ぶぅ、うぇ、っっ、くぅ、しょぉ、おぉ、うぇ、ぇ、ぇ、いぃ、ぃ」
アリスの背後、数十メートル先の由加もスローでくしゃみをぶっ放す。
「うぅ、おぉ、おぉ、おぉ、ゆぅ、るぅ、さぁ、あぁ、ぁ、ん、ん、ん」
目が合ったまま、許さんなどと恐ろしい事を叫びながら倒れゆくアリスに俺はヘッドスライディングをかますべく突進していた。
「とぉ、どぉ、けぇ、えぇ、ぇ、ぇ、ぇ」
恐らく1、2秒。長くても3秒あるか無いかだ。いや、無いだろう。
「くぅぇっ……ぐふぇっ……!!」
ギリギリ。ほんとコンマの世界。
その中で俺は出来る限りのことをやった。
「っ……ぐぅっ……」
アリスの背に左腕を差し入れ、背中から着地。
同じ様にぶっ倒れたアリスだったが、後頭部を強打することなく、少しばかりの俺というクッションで大事には至らなかった。
「いっ……つっ……!」
というか、あの一瞬でアリスも許さんという言葉通り、やることはやってくれたようだ。
倒れる一瞬、俺の鳩尾ギリギリの位置に体重を載せた肘打ちをくれてやがった。
見間違いかと思ったが、背中じゃなく前面に重く鋭い痛みがあるのがその証拠だ。
「ごめ……いっ……! いっつつ……。ほん……と……ごめ……ん……ほ……んと……」
夕暮れが近付き、赤く染まり始めた空。平和だ。
なのに、俺の心は……精神的、物理的、両方の意味で痛い……。
「私をぶっ飛ばした男は……貴様だけだ。……絶対に許さん」
とか言いつつも、もうそこまで力が残ってないのか、アリスも寝転んだまま空を見上げている。
「おれ…も……とっさに……ぶっとばしたの……おまえだけ……だよ……」
正直に言ってから気付く。これってアリスからすれば結構ショックなことかも……と。
「そんなに……私が……嫌……なのか……」
「え? いや、嫌って、おまえ……」
ある筈がない。それは完全に否定できる。
「なに言って……そんなこと……」
なのに、いつもの自信が消え去り、悲しみが混ざったような声で問うアリスに戸惑い、否定の言葉が遅れ……。
「ぜんばぁ〜い……。だいじょうぶでずかぁ〜……?」
「いや、お前が大丈夫じゃねえだろ! つうか、垂らしながらくんな!!」
有耶無耶……。鼻水を拭きながらやってくる由加に俺は逃げてしまっていた。
「しんばいしてきたのに、そんぁこと……―――うっ、うぇっ……!」
由加の奴は急に歩みを止め、両手で顔を覆い始めたので一瞬泣き出したのかと思ったが。
その時の俺は理由は何であれ、それでもいいとも思っていた。とりあえず、由加に何かを起こしてもらいたかった。
それだけ、アリスと男女を意識するような話はまだ避けたいと……何故だかそう思っていた。
「……うぇっくしゃぁいぁああっっっ!!」
そして、本当に何かをやった由加―――というか、くしゃみをしただけだが……。
ただのくしゃみではなく、これまで見た中でも最大級と言えるくしゃみをぶっこきやがった由加は、唾の飛沫を盛大に出しながら、背後へと飛んでいた。
「うっ……冷っ……!? ……ぉおおいっ、貴様っ!! 汚いだろうっ! ふざけるなっ!!」
「うぇぇ……俺も……目に入ったぞ……」
当然、まだ、寝転がったままの俺達は為す術がなく由加飛沫の餌食となる……。
「あぁ……なんか取れん……視界が安定しねぇ……」
やっぱ……アリスと真剣に会話することと、由加に飛沫を飛ばされること……天秤に掛けたら、アリスと話すほうがマシだったのかもしれない……。
なんて、考えながら右目を拭っていると、目の前を何かが一瞬通り過ぎたような気がした。
「えっ……」
ボヤケた視界でによる見間違い。そう思った瞬間だ。
「うぅ……ぉぉおっ……なんだっ、これっ……」
「くぅ……ぅ……」
目の前で砂埃が濛々と巻き上がり、視界から由加が消え、俺とアリスは砂埃に取り込まれてしまう。
「…………」
顔を腕で覆い、砂埃が治まるのを待つ間。俺は……いや、俺の身体に若干乗っかって寝転んだまま同じ様に顔を覆って耐えているアリスも、そして、自分のくしゃみで後ろへとぶっ飛び尻もち付いて耐えてるんだろう由加も……。
この場に居る全員が不安と共に思ったに違いない。
そう。試合はまだ終わってなかったと。